紀国正典著『金融の公共性と金融ユニバーサルデザイン』概要

紀国正典著『金融の公共性と金融ユニバーサルデザイン』概要紹介

このページでは、拙著『金融の公共性と金融ユニバーサルデザイン』ナカニシヤ出版(2012年4月第1刷り、2013年4月第2刷り、2016年4月第3刷り)の骨子を簡単に紹介いたします。
詳しくは本書をご参照ください。

本書の出版にあたっては、高知大学経済学会と高知大学から出版助成金を頂くことができたので、できる限り安価に出版できるよう努力しましたが、ソフトカバーに装丁を落としてみても、3500円(本体)が限界でした。読者の方々には、金銭面でご迷惑をおかけすることになり、わたしとしては悔いを残しました。

幸いにも、本書は、日本経済新聞社の書評(2012年6月24日付け)で紹介され、エコノミスト誌(2014年6月12日号)の「旬のテーマを読む」で取り上げられ、週刊ダイヤモンド(2012年12月22日号)の「2012年のベスト経済書」の一つに挙げられました。これ以外にも本書を取り上げて書評して下さる学術雑誌やWebサイトも多くありました。本書を取り上げて頂いた関係各位に、心からお礼を申し上げます。

また、2012年4月27日に第1刷り出版以降、1年後の2013年4月1日には第2刷り出版と相成りまして、高価な学術出版書でありながら多くの方に購入していただいたようで、読者の方々に心からお礼を申し上げます。


本書の二つの目的と構成
(1)金融(国際金融)が公共財(国際公共財)であることを明らかにする独自の理論的枠組み(公共性三元論)を構築し、金融が公共財であることを論証するとともに、公共財としての特性を解明しました。
これが、第1章「公共性研究の方法と公共性三元論」、第2章「金融の公共性諸学説」、第3章「金融の公共性」です。

(2)金融が公共財であるとすれば、その特性からしてどのように制御されるべきであるかを明らかにしました。
①人間の持続的幸福に寄与する創造的金融活動。それを「社会的責任金融・国際的責任金融」と定義しました。
この内容を説明したのが、第4章「社会的責任金融・国際的責任金融」です。

②ユニバーサルデザインという公共財思想を金融に応用して「金融ユニバーサルデザイン」という、公共財である金融のデザイン原則を構想し、その草案を提唱しました。
これが、終章「金融ユニバーサルデザイン」です。


本書の二つの意義
(1)学界の未開拓領域(空白分野)に踏み込んだこと(学術的意義)
学界の通説では金融は公共財とはなりません。公共性に関する膨大な研究成果が産出されておりながら、金融が公共財であることとその特性を解明した研究成果は、わたしの知る限り他には見当りません。

(2)世界金融危機を教訓にして公共財としての金融制御のあり方を提起したこと(社会的意義)。
世界金融危機の批判本・警告書はたくさんありますが、金融の公共財としての特性から金融制御のあり方を提起した研究成果は、わたしの知る限り他には見当りません。


本書のまえがき(抜粋)
「金融はみんなが使う公共財である。この単純明快なことを理論的に明らかにしようとするのが、本書の第1の目的である。

 読者の方には、それは市民感覚からすれば当然と不思議がる人もいるだろうが、学問の世界の通説は違うのである。公共財についての学界の有力な説によれば、公共財とは政府の管理する、あるいは政府が資源配分を行う財やサービスであり、市場機能を通じて分配される金融はその定義からはずれるのである。また金融分野においても、公共財に言及した有力な意見は、「金融における信認が公共財である」とか、「金融の安定が公共財である」と主張するものの、金融そのものが公共財であるとはいわないのである。

 わたしはこのことが不思議で、なぜそのようなことになるのだろうかと、金融以外の学問分野(学際分野)にまで手を広げて公共性と公共財についての研究をすすめ、この「不可思議なこと」を長年追究してきた。そしてようやくにしてわかったことは、公共性とか公共財についての定義やそれを理解する理論的方法にそもそもの問題があったということである。つまり公共性あるいは公共財についての定義が、狭くて、硬直的だったからである。

 「狭い」とは、多様な人間の集合的行為や行為様式を限定したものにしてしまう理論的方法である。「硬直的」とは、創造的で動態的な人間の集合的行為や行為様式を、固定した静態的なものにしてしまう理論的方法である。

公共財である以上、大気などの自然環境や道路、財政、そして金融もふくめて公共財であると統一的に説明できなければならないし、できるはずであるし、そのような柔軟で総合的な理論的枠組みは必要である。この理論的枠組みの創造に挑んだのが、本書の第1章から第3章である。

 本書の第2の目的は、金融が公共財であるとすれば、いったいどのような特性をもった公共財であるのか、そしてその公共財としての特性からしてどのように制御されなければならないのか、このことを理論的に解明するとともに、いくつかの実践成果や思想にもとづいて発展させることである。本書の第3章から終章までが、それを考察しようとした章である。

 わたしがとりわけ注目したのは、金融の社会的利益や金融における社会的責任の実現を目標にした多様な創造的金融活動の登場である。わたしはこれらの諸活動すべてを金融面から総合的にとらえるために、それらをまとめて、「社会的責任金融(SRF:Socially Responsible Finance)」と「国際的責任金融(IRF:Internationally Responsible Finance)」と定義した。その内容と実践成果を紹介したのが第4章である。

 さらに最も注目したのはユニバーサルデザインという考え方であり、わたしはこの思想を金融に応用して、「金融ユニバーサルデザイン」という、公共財としての金融の基本原則を構想してみた。これが終章である。

誰もが利用する公共財である金融は、誰もが簡単に利用でき、誰もが容易にわかるものであり、その社会的役割とお金の使い方や行き先について、誰もがたやすく知ることができなければならないのである。金融の公共財としての特性を追究していって、わたしがようやくにしてたどり着いた結論は、このことであった。…(以下、省略いたします)…」


本書のあとがき(抜粋)
「金融の公共性研究についてのわたしの長い旅路がようやく終わった。ここまで付き合っていただいた読者のみなさま方に、心から感謝を申し上げる次第である。

 思えば長かった。京都大学大学院経済学研究科でJ.M.ケインズの管理通貨論に関心をもち、高知大学人文学部に着任し「D.リカードの金融統制論」『高知論叢』第19号(1984年4月)を書いてから、高知大学退職まで実に30年近く、人間が金融をどのように制御すればいいのか、という問題にかかわってきたのである。

 金融ユニバーサルデザインを提唱した以上、誰にもわかりやすい内容や文体を目指して格闘したが、わたしの非力さから、なかなか思うように表現できず、もどかしかった。この点については、読者のみなさま方にお詫びするしかない。これからもいっそうの努力と精進をし、もっとわかりやすい研究書や解説書に挑むつもりである。

 ただわたしが本書で主張したかったことやその内容は、むずかしいことではない。金融はみんなが利用する公共財であること、そうだとすれば金融はどのような人にとっても簡単でわかりやすく利用でき、みんなの持続的幸福に役立つように制御されるべきであること、この二点だけである。おそらく市民感覚からすれば、きわめて当たり前のことと受けとめてもらえると思う。そのような感想をもっていただければ、わたしの仕事の目的は達成されたことになる。

 公共性研究および公共財研究に取り組んでみて、あらためて驚いたのは、欧米生まれの「非排除性・非競合性」公共財論の影響力の大きさである。いまでもこれを引用して公共財の定義としている研究者が、わたしの周辺にも多い。しかし、日常生活レベルで普通に考えて、この定義はどうにもおかしいのである。学問の世界においても欧米学説権威主義、あるいは有名学説権威主義がまん延しているのであろうか。

 哲学者の梅原猛先生は、「奴隷の学問」というテーマで人文科学・社会科学のあり方について次のように警告された(執筆時に82歳になっておられたが意気軒昂(いきけんこう)である)「私は最近、明治以来の日本の人文科学、社会科学の多くは科学の体を成していないとますます思うようになった。たとえば私が大学で専攻した哲学についていえば、日本の哲学者のほとんどはプラトンやカントなどの哲学を研究し紹介することを一生の仕事としていて、その意味でプラトンやカントの奴隷であると言わざるを得ない。哲学とはやはり、世界とは何か、人間とは何かを自己の頭で深く考え、そのような思想にもとづいて独創的な体系を構築する学問であるべきである。(…中略:紀国…)人文科学も社会科学も自然科学も、その学問の方法は同じである。そこにはそれまで真理とされてきた通説への根本的懐疑があり、そしてその懐疑の末に新しい説の直感があり、その直感された新説を演繹(えんえき)と帰納の方法によって粘り強く証明し、首尾一貫した学問体系を創造する。それは自然科学においてはごくあたりまえの方法であり、そのような方法によらない学問は認められない。しかるに日本の人文科学、社会科学にはそのような学問はほとんどなく、奴隷の学問が大手を振って通用している。」(「灯点(ひともし):奴隷の学問」高知新聞2008年11月22日付け)。
…(以下、中略いたします)…

確かに日本においては欧米学説を紹介すれば、それで自分の仕事ができたと思う方が多いようである。また欧米学説や欧米理論の方が重んじられる傾向もあるように思われる。創造的・革新主義的(イノベーティブ)であるべき学問の世界が、権威主義あるいは欧米学説権威主義に毒されているとすれば残念なことである。梅原猛先生の言われるとおり、研究者の仕事は自分の頭で考え、自分独自の意見や理論を生み出し、自分で創造するしかないのである。

 わたしの仕事はこれで終わった訳ではない。金融の公共性研究は、わたしのライフワークである。残された実に多くの課題がある。
 第4章の社会的責任金融・国際的責任金融は、枚数の限りがあって、初出文献を再編して改訂再掲するにとどまったが、それ以降も、このテーマにかかわる多くの実践成果や研究業績が生みだされているので、それらを研究してまとめてみたいと思っている。

 終章の金融ユニバーサルデザインは、まだわたしの草案を提唱させてもらっただけである。インターネットのホームページに「金融の公共性研究」についてのサイトを作り、「社会的責任金融・国際的責任金融」と「金融ユニバーサルデザイン」のページを構える準備をしているので、それを使って意見交流をしたいと考えている。それが退職後の大きな楽しみである。関心のある方は一度インターネットで検索してアクセスし、積極的に参加していただきたいと思う。

 世界金融危機についての批判本や警告書はたくさんあるが、金融の公共財としてのあり方から問題提起した研究書は、わたしの知る限り見当たらない。本書出版をきっかけに、金融が公共財であること、そして公共財であるならどのように制御されなければならないのか、という問題に関心をもつ方が少しでも増え、そのような議論が活発化するなら、筆者にとって大きな喜びである。」



本書の目次

はしがき
第1章 公共性研究の方法と公共性三元論
 はじめに
 第1節 公共性研究の方法
第2節 私的利用様式
第3節 共同利用様式
 第4節 公共性諸学説の検討
第5節 国際共同利用様式と国際公共性諸学説の検討
おわりに
第2章 金融の公共性諸学説
 はじめに
 第1節 「非排除性・非競合性」諸学説の検討
 第2節 「外部性」諸学説の検討
 おわりに
第3章 金融の公共性
 はじめに
 第1節 富の共通の等価物としての貨幣
第2節 金融システム
第3節 貨幣の三大悲劇
 第4節 金融の公共性とその特性
  おわりに
第4章 社会的責任金融・国際的責任金融
 はじめに
 第1節 貸手責任
第2節 社会的責任金融
第3節 国際的責任金融
 第4節 世界金融危機と金融の公共性
  ―巨大複合金融機関の分割・解体に向けて
おわりに
終章 金融ユニバーサルデザイン 
 はじめに
 第1節 公共性とユニバーサルデザイン
第2節 ソフトウェアーユニバーサルデザイン
第3節 金融の公共性の発展指針としての金融ユニバーサルデザイン
 第4節 金融ユニバーサルデザインの定義と原則
第5節 金融ユニバーサルデザインの適用領域と関連領域
おわりに
あとがき
初出一覧
人名索引
事項索引


誤植訂正とお詫び
校正があいにく退職と引っ越しの慌ただしい時期と重なってしまい、第1刷りにおいて多くの誤植を出してしまいました。読者に深くお詫び申し上げる次第です。
これらの誤植は第2刷りで訂正しましたが、第2刷りにおいても二箇所、誤植がありました。
以下、これらについての正誤表を掲げますので、ご面倒をおかけしますがご訂正のほど、よろしくお願いいたします。

『金融の公共性と金融ユニバーサルデザイン』正誤表
(2012年4月27日の第1刷り時の誤植。2013年4月1日第2刷り出版時に訂正)
数字は、頁と行です。その下の上の部分が「誤」で、矢印で示したものが「正」です。

7頁・20行
それに意義を唱える
→それに異義を唱える

10頁・16行
と表わさなければならないし、
→と表さなければならないし、

17頁・7行
大いなる自由が保証される
→大いなる自由が保障される

25頁・12行
Bの利益のためにも投出と投入行為を
→ Bの利益のためにも投出と投入を

42頁・24行
まずなんの公共性が問題とされているのか
→ まずどのように公共性が問題とされているか、

56頁・29行
できる権利が保証されなければ
→できる権利が保障されなければ

61頁・11行
国連食料農業機関
→ 国連食糧農業機関

75頁・2行
(global neighbourhood)
→(global neighborhood)

80頁・図表注の3
[U]ab
→U]ap

86頁・14行
国際食料政策
→国際食糧政策

92頁・注10
金融の公共性は数段階において提起
→金融の公共性は数段階を経て提起

93頁・注8
それ以降、2008年にはリーマンショックに
→それ以降第4段階に入り、2008年のリーマンショックに

95頁・注1
共有資源(common propety)
→共有資源(common property)

99頁・注8
Our Global Neighbourhood:
→ Our Global Neighborhood:

129頁・7行
れれば、Cは
→れば、Cは

131頁・6行
Cも貸付
→Cも貸し付

131頁・14行
返済・払戻しと
→返済・払い戻しと

137頁・25行
銀行取付けのように、
→銀行取り付けのように、

138頁・21行
もう一つは銀行取付けや
→もう一つは銀行取り付けや

146頁・注41
に先んじで警告のシグナル
→に先んじて警告のシグナル

164頁・16行
暗唱番号
→暗証番号

167頁・24行
罰則が課せられるので、
→罰則が科せられるので、

171頁.4行から5行
金融行為を行う人
→金融行為をする人

179頁・7行
big to faill
→big to fail

184頁・6行
(預金受入れ業務をしない
→(預金受け入れ業務をしない

187頁・図表3-7
共通の等価値
→共通の等価物

202頁・29行
(IRF:Internatioly Responsible
→(IRF:Internationaly Responsible

205頁・8行
講義は聞くものを魅了する
→講義は聴くものを魅了する

213頁・4行
(tortious interferences)
→(tortious interference)

219頁・18-19行
プロフェショナル
→プロフェッショナル

224頁・14行
場合に汚染物
→場合に、汚染物

227頁・7行
そのうち値上がる
→そのうち上がる

230頁・1行
使途が自由である外貨建の貸付)
→(使途が自由である外貨建ての貸付)

230頁・11-12行
提供して、
→提供するなどして、

233頁・5行
日本版金融ビックバン
→日本版金融ビッグバン

236頁・1行
るものである。
→ることである。

240頁・1-2行
売り出したり、
→売り出し、

240頁・2行
優遇金利や支援金、
→優遇金利、

240頁・2行
太陽光発電購入の優遇
→太陽光発電購入に際しての優遇

245頁・16行
評価する機運が
→評価する気運が

253頁・29-27行
これからも時代や社会の多面的な要請を受けて、いろんな社会的責任目標や基準が生
み出されてくるであろう。現代という時代が要請する課題が多様になったり。
→これからも時代や社会の多面的な要請を受けて、現代という時代が要請する
課題が多様になるにつれ、いろんな社会的責任目標や基準が生み出されてくるであろう。

256頁・12行
品質・安全の保証体制、
→品質・安全の保障体制、

258頁・2行
地域貢献の取組を
→地域貢献の取り組みを

258頁・2行
これに反映した。
→この数字に反映した。

259頁・6行
金融CSR取組み事例における
→金融CSR取り組み事例における

260頁・図表4-16
金融CSR取組み事例
→金融CSR取り組み事例

279頁・30行
買手や引き取り手の
→買い手や引き取り手の

290頁・注76・12-13
紀国正典「金融コングロマリット―OECDの研究成果の検討」『高知論叢』第70号、2001年、p.125
→削除

290頁・注78・13
社会的責任金融教育の実践成果を
→高知大学でのわたしのゼミ(専門演習:社会経済学科)における、社会的責任金融教育の実践成果を

296頁・8行
社会が動く法則を解明
→社会を動かす法則を解明

296頁・9行
その方法で
→このような方法で

298頁・24・26行
取組み
→取り組み

303頁・12行
(画像、音声、触知)
→(画像、音声、触感)

308頁・1-8行
市場原理
→「市場原理」

315頁・3・10行
金融ビックバン
→金融ビッグバン

316頁・15行
そして事後改善
→そして事後点検改善

320頁・8行
日本版金融ビックバン
→日本版金融ビッグバン

326頁・11行
日本版金融ビックバンの
→日本版金融ビッグバンの

328頁・11行
(画像、音声、触知)
→(画像、音声、触感)

329頁・4行
選択をできるように
→選択できるように

332頁・10行
体に損傷や障害を
→体に障害を

332頁・27行
金融ビックバン
→金融ビッグバン

333頁・10行
金融ビックバン
→金融ビッグバン

333頁・30行
金融ビックバン
→金融ビッグバン

348頁・注9・9
ある特定の障がい者向けの
→障がい者向けの

350頁・注22・1
ATM(現金自動支払装置)
→ ATM(現金自動支払い装置)

350頁・注24・6
小林武史さんが
→小林武史氏が

350頁・注24・9
2008年5月19日付け、
→2008年5月19日付け。

350頁・注249
合同出版、2008年
→合同出版、2008年、

352頁・5行
に着任し「D.リカードの
→に着任し、「D.リカードの

354頁・11行
インターネットのホームページに
→インターネットに

354頁・13行
のページを
→のホームページを

奥付・3行
修士(経済学)
→経済学博士(京都大学)

奥付・3行
高知大学人文学部に
→高知大学人文学部(社会経済学科)に


2013年4月1日の第2刷り出版以後の誤植訂正箇所
数字は頁と行です。その下の上の部分が「誤」で、矢印で示したものが「正」です。

302頁・25行
簡単にそして直観的に利用できること
→簡単にそして直感的に利用できること

324頁・25行
金融は簡単にそして直観的に利用できること
→金融は簡単にそして直感的に利用できること


(2014年12月05日執筆)