紀国正典著「貨幣数量説と貨幣減価の謎(2・完)―アダム・スミスの残した課題―」ダウンロードのご案内

このたび、紀国が研究をすすめてきました「国家破産・金融破産」研究の第 6作「貨幣数量説と貨幣減価の謎(2・完)―アダム・スミスの残した課題―」(高知大学経済学会『高知論叢』第121号、2021年10月)が、高知大学学術情報ディポジトリに掲載されましたので、ご案内申し上げます。

ご関心のある方は、次をクリックして高知大学学術情報ディポジトリにアクセスしていただき、拙稿論文をダウンロードしていただくことができます。
ご意見のある方は、投稿ページ(意見交流)にてご意見を賜れば幸いです。

貨幣数量説と貨幣減価の謎(2・完)―アダム・スミスの残した課題―

本論文の構成は次のとおりです。

第2章 地金論争とアダム・スミス

地金委員会と地金論争(第1次貨幣数量説論争)
『地金委員会報告』とアダム・スミス
ディビッド・リカードの貨幣数量説とアダム・スミス
ディビッド・リカードの貨幣・金融制度改革論
ピール銀行条例と通貨主義・銀行主義論争 (第2次貨幣数量説論争)

第3章 さまよう貨幣数量説
おわりに

 

(以下の目次は、前号掲載分です。)
はじめに
第1章 貨幣数量説とアダム・スミス
アダム・スミスが提起したといわれている問題
『法学講義ノート』とヒュームの貨幣数量説
『国富論』における貨幣数量説批判(1)生産費低下
『国富論』における貨幣数量説批判(2)貴金属分量の減少
『国富論』における貨幣数量説批判(3)貨幣還流と貨幣不信
アダム・スミスの貨幣数量説批判(まとめ)
ジェイムズ・ステュアートの貨幣数量説批判

 

本論文において貨幣数量説批判をとりあげた意義について、本論文の「はじめに」において、次のように述べています。

「現代になっても、この世の中をさまよっている亡霊のような貨幣・金融理論が存在する。それは、貨幣数量説である。

亡霊といったのは、この貨幣数量説を、経済学の創始者である二人の知の巨人、ジェイムズ・ステュアートとアダム・スミスが、それぞれ『経済の原理』と『国富論』において、きっぱりと明快に批判し、学説史から退けていたからである。いわば死んだも同然の金融理論だったのである。ところが不思議なことに、この金融理論を、古典学派の経済学の完成者と評価されるリカードが、あの世からよみがえらせたのである。一度死んだはずなのに、またぞろ復活するのは、まさに亡霊だろう。
さらに貨幣数量説は、アメリカにおいて、数量経済学者であるエール大学のアービング・フイッシャーによって、さらにシカゴ大学のミルトン・フリードマンなどのマネタリスト(貨幣主義学派)によって、また命をふきこまれたのである。

貨幣数量説を亡霊といったのには、もう一つ理由がある。亡霊のように希薄で根拠に乏しいからである。だから変幻自在・応用自在でなんにでもとり憑くのである。
日本では「アベノミクス」というおおげさな衣を身にまとって政権中枢に入り込み、「リフレ派」などとの気取った化粧をほどこして金融中枢のもぐり込んだ。リーマンショック後の世界では、ヘリコプターから金をまくように量的金融緩和すれば、万事うまくいくという奇っ怪な「ヘリコプターマネー論」が、すでに日本で失敗済みなのに、世界に出没するようになった。そして今では、財政も金融も経済もそして家計も危機的に悪化しているのに、株価だけが異様に高騰するという怪奇現象をひきおこしている。

本論文は、このような不思議な現象を解明してみようとするものである。いわば亡霊の正体をみてみたいのである。

以下、次の順序で、考察をすすめる。
第1章の「貨幣数量説とアダム・スミス」では、スミスとステュアートが、貨幣数量説をどのように克服してきたのかについて、明らかにする。第2章の「地金論争とアダム・スミス」では、一度死んでしまったはずの貨幣数量説が、なぜ、どのようにして、リカードによって復活したのかを解明する。驚くことに、貨幣数量説は、スミスを旗印にかかげて、蘇生したのである。第3章の「さまよう貨幣数量説」では、それ以降の現代に至るまでの貨幣数量説の変遷を概観してみることにする。最後に「おわりに」で、これらをまとめるとともに、残された課題について整理してみる。」

以上です。
ご笑覧いただければ幸いです。

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